SAVOIR-FAIRE
高岡漆器
漆器 - 高岡市, 富山県
高岡漆器は江戸時代初期の17世紀始め、加賀藩主前田利長が高岡城を築き高岡の町を開いた後、全国各地から職人や商人を集め、武具やたんす、膳など日常生活品を作らせたのが始まりと伝えられる。 特徴のある赤茶色の「赤物(あかもの)」と呼ばれる漆器で広く知られ、その販路は高岡周辺にとどまらず北日本一円、北海道にまで広がった。 また江戸後期から明治期にかけてこの地に多くの優れた名工が現れ、錆入れ、螺鈿などの多彩な技法が生み出され、漆器産地としての基礎が築かれて行った。1975年に国の「伝統的工芸品」に指定された。
高岡銅器
金工品 - 高岡市, 富山県
高岡銅器は、加賀二代目藩主であった前田利長が町の繁栄を図るために、1611年、7人の鋳造師を全国から呼び寄せたことに始まる。その発祥地は現在でも金屋町という名で残っている。 富山県高岡市で作られている金工品の総称。名前に「銅器」とあるが、真鍮や青銅などの銅合金以外にも、アルミ合金・錫・鉄・金・銀などの素材でも、ものづくりが行われている。 仏像・梵鐘などの大きいものから、銅像・おりんなどの細かい品まで、その多彩な鋳造技術は全国的にも有名で、現在も日本の銅器生産高の95%のシェアを誇る。1975年に国の「伝統的工芸品」に指定された。
小石原焼
陶磁器 – 東峰村, 福岡県
小石原焼は福岡県朝倉郡東峰村にて焼かれる陶器の総称で、1662年に福岡3代目藩主・黒田光之が肥前国の伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まりである。 器をろくろで回しながら、刃先やハケなどを使い規則的に入れる独特の幾何学的模様が特徴である。その技法には刷毛目、飛び鉋、櫛描き、指描き、流し掛け、打ち掛けなどがある。 1954年、柳宗悦やバーナード・リーチらが小石原を訪れ、「用の美の極致である」と絶賛したことで全国的に知られるようになり、1958年にはブリュッセルで開かれた万国博覧会ではグランプリ受賞するなど国際的な評価も高い。1975年には陶磁器では日本初となる伝統的工芸品に指定された。
樺細工
木工品 – 角館町, 秋田県
山桜の樹皮を用いて作られる樺細工は、秋田県・角館だけにその技術が受け継がれている。山桜の樹皮の表情を生かしたものは「霜降皮」、樹皮を薄く削り研磨したものは「無地皮」と呼ばれる。 茶筒のように日々手に触れるものは手沢によって光沢を増し、山桜独特のつやを保つ。その歴史は18世紀末から始まっており、伝統は200年を超えるとされる。 伝統的な樺細工は一般的に小さなものが多く、現在では茶筒や煙草入れなどに使われることが多い。樺細工にはこれらの乾燥した物の湿度を一定に保ち、外部からの変化から守る特徴がある。色は元となる樹皮や膠により、一般的に暗い赤色をしている。1976年に国の伝統的工芸品に指定された。
大館曲げわっぱ
木工品 – 大館市, 秋田県
江戸時代から伝わる伝統工芸品で、天然秋田杉の薄板を曲げて作られる円筒形の曲物の総称。天然秋田杉の香りの良さや、美しい木目と色合いが食べ物をより一掃美味しくさせるという理由から、主におひつや、弁当箱・わっぱ飯などに使用される。秋田杉で曲物が作られるようになったのは約1300年ほど前だが、産業として確立したのは17世紀後半頃。当時の大館城主佐竹西家が下級武士の副業として奨励し、発展していった。プラスチック製品の普及により、産業が一時衰退した時期もあったが、木目の美しさやシンプルな自然素材などが昨今の脱工業化の感覚にも合い、現代の暮らしに寄り添った製品が多く作られるようになっている。1980年にこの分野では唯一、国の伝統的工芸品に指定された。
蛭谷和紙
和紙 – 立山町, 富山県
蛭谷和紙は、越中和紙の1つであり、越中和紙として、1988年に国の伝統的工芸品に指定されている。 越中和紙の歴史は奈良時代にさかのぼるとされる。奈良時代には写経用紙として重用され、特に江戸時代には隆盛を極めた。蛭谷和紙は古くから生活の中で重宝されてきたものであり、その強靭かつ柔らかな紙質には定評がある。一方、機械漉きの紙の隆盛により産業は衰退し、蛭谷和紙の職人は現在ただ一人。唯一の継承者・川原隆邦が代表を務める川原製作所で、蛭谷和紙は製造されている。その特徴は、原材料となる「トロロアオイ」の育成から、楮の下準備までそのすべての作業を一貫して行うこと。そのため、紙質に関するあらゆるオーダーに応えることが可能となっている。
山中漆器
漆器 – 加賀市, 石川県
山中漆器は、石川県加賀市の山中温泉地区で生産される漆器である。山中独自の木地挽物技術に優れており、その特徴は、自然の木目と優雅な蒔絵の美しさにある。その歴史は、16世紀後半に他地域の職人集団が良い材料を求めて加賀市山中温泉の上流にある集落に移住し、彼らが「ろくろ挽き」を行って生計を立てたことにより、その技術が山中温泉の周辺に定着したことに始まると言われている。さらに19世紀前半には京都や会津、金沢などから塗りや蒔絵の技術を導入し、山中独自の技法が開発された。親しみのある大衆的な塗り物として支持される一方、繊細な加飾や優雅な蒔絵の美しさにより、その芸術的価値も広く認められている。1975年に国の伝統的工芸品に指定された。
大州和紙
和紙 – 内子町, 愛媛県
大洲和紙は、愛媛県大洲市内子町で作られている手漉き和紙である。大洲では平安時代から和紙が作られてたが、現在のような大洲和紙になったのは江戸時代中期のことである。製品は書道用紙・障子紙・表装用紙などに使用されることが多い。薄くて漉きムラが少ないため、特に高級で使いやすい書道半紙として重宝されている。明治末期には430名を数えた和紙業者も機械文明の発達と共についに終戦時には74名となり、現在町内業者は僅か2名となっているが、そのうちの一人である五十崎社中の斎藤宏之は欧州のギルディング技術を学び、和紙の新たな可能性を追求している。1977年に国の伝統的工芸品に指定された。
備前焼
陶磁器 – 備前市, 岡山県
岡山県備前市周辺を産地とする炻器。日本六古窯の一つに数えられる。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つ。同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は備前焼の窯のものである。良質の陶土で一点づつ成形し、釉薬を一切使わず堅く焼き締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出される一つとして同じものがない模様が特徴。現在は茶器・酒器・皿などが多く生産されている。「使い込むほどに味が出る」と言われ、派手さはないが飽きがこないのが特色である。純日本的な備前焼の味わいは海外でも愛好家が多い。また多くの人間国宝を輩出しているのも備前焼の特徴である。1977年に備前焼は国の伝統的工芸品に指定された。
東京染小紋
染色品 – 新宿区, 東京都
染小紋とは、江戸時代に発展した型染めのことをいう。8世紀に、木型に染料を塗り、布を押し当てて模様をつけていたものが源流とされる。その後13世紀に衣類の染色技法となった。 「遠くは色合い近くは繊細優美」と言われる東京染小紋は、単色で渋い色味が多く、遠目には無地のように見え、近くでは手のこんだ細かい柄が浮き上がって見えるという特徴を持つ。着物文化の中心は京都が中心であったが、江戸(今の東京)の人口が増えるにつれ、京都から多くの職人が江戸に移り住んだ。染色には多くの水を必要としたことから、水が豊富な神田川流域を中心に産業として栄え、今もこの地域にはその名残が残る。1976年、東京染小紋は国の伝統的工芸品に指定された。
大阪欄間
木工品 – 大阪/岸和田/吹田, 大阪府
大阪欄間とは、大阪市周辺で生産されている欄間のことである。「欄間」は和風住宅において、隣り合う部屋や部屋と廊下の天井と鴨井の間に取り付けられる木板のことで、採光や通風をよくするために、障子の上にも使われる。その起源は17世紀初頭ごろで、初期は特権階級のためのもので京都が製造の中心だったが、江戸時代中期に一般庶民の住居にも取り入れられるようになり、その中心は大阪に移った。大阪欄間には、彫刻が施されたものや透かし彫りのものなど、さまざまなスタイルがあるのが特徴である。彫刻欄間は立体的な風景が描かれた最も代表的且つ手間のかかる技法であり、透かし彫り欄間は桐の板から透かし模様を切り出したもので、開放感がある。1975年、大阪欄間は国の伝統的工芸品に指定された。
南木曾ろくろ細工
木工品 – 南木曾, 長野県
長野県木曽郡南木曽町周辺で作られている完全手作りの木工品「南木曽ろくろ細工」。18世紀前半に生まれたこの伝統工芸品は、「ろくろ細工」と呼ばれる特殊な木工技術で知られている。 「ろくろ細工」とは、ろくろで回しながら鉋で削った丸い木片を使って、白木の製品を作るものである。木の性質を熟知した高度な技術が必要とされ、「木地師」と呼ばれる熟練の職人によって作られる。 南木曽ろくろ細工の特徴は、このろくろ細工によって生み出される木目を、自然の美しさをそのままに引き出している点である。南木曽という豊かな森林から採れる名木が、その魅力を最大限に引き出す要因となっている。1980年、南木曾ろくろ細工は国の伝統的工芸品に指定された。
美濃焼
陶磁器 - 多治見市/土岐市/瑞浪市/可児市, 岐阜県
美濃焼は、岐阜県の東濃地方で作られている陶磁器の総称である。 長い歴史と伝統を持つ美濃焼は、時代に合わせて人々の好みやその時代の流行などを反映し変化してきた。そのため1つの様式を持たず、多様な種類が存在する。1300年以上の長い歴史を持ち、現在も日本全国陶磁器生産量の60%という圧倒的なシェアを占めている。 明治時代中頃からは産地全体で日常生活雑器の生産を開始し、低コストを実現するために製品別分業が発展する。一方、美濃からは多くの優れた陶芸作家が輩出され、現在でも多くの陶芸作家の活動の拠点となっている。1978年に国の伝統的工芸品に指定された。